湘南長寿園病院の院長であられるフレディ松川先生 の著書「ここまでわかったボケる人ボケない人」の最後にフレディの遺書として-私を介護してくれるあなたへのメッセージ-というのがあります。著者が認知症になったと仮定しての遺書ですが切実で哀しい思いで読みました。急速に進む高齢化社会において誰もが直面するかもしれない問題です。ここに紙面をお借り して紹介させて頂きます。
もし私が、痴呆性老人になったら、その時、私を介護してくれるあなたに、次のようなこと をお願いしておきたいと思います。これらのお願いは、決してむずかしいことでもなければ、あなたを精神的にあるいは金銭的に苦しめる物でもありません。ほ んのささやかなお願いですので、ぜひ聞き届けてください。どうぞよろしくおねがいいたします。
私が医者であったことをまず忘れてください。知識は遠いかなたへ消え去り、今では人の助けなしに は一日も暮らせない別の人間になってしまっているのです。そんな私にあなたは静かに話かけてくださいね。決して大きな声で私に話さないでください。あなた が大きな声で話すと、たとえあなたが怒っていなくても、私はあなたになんだかとても強く叱られたように感じて怖くなってしまいます。本来、やさしいと思っ ていたあなたに、「えっ、なに!おじいちゃん」「なにやってるのよ!」などといわれるたびに、私は恐怖におののくのです。
あなたが何か、わたしにさせたいのであれば、静かにゆっくりと話してください。また私は変なこと を言うかもしれません。たとえば「蛇がいる」と私が言ったら、「ナニを言ってるの、蛇なんかいないわよ!」と大声で言うのではなく、「どうしたの?蛇はど こにいるの?」「どうしたいの」「じゃあ、蛇をどかせましょうね」とやさしく尋ね、そして、わたしが何を要求しても、その要求をまず受け入れてほしいのです。
私が「ごはん、まだか」と聞いた時も、「さっき、食べたでしょう!」と大声で叱るのではなく、 「おなかが空いたの?じゃこれ食べる?」といって、クッキーの一枚でもわたしにあたえて下さいね。三度の食事のたびに、箸をうまく使えなくなり、食事をこ ぼしたりします。ですから、指を使ってたべることもあるかもしれません。その時は、無理に箸を使わせようとせず、そのまま自由にたべさせて下さいね。
また、疲れてバジャマに着替えることもなく、そのままの姿で寝てしまうかもしれません。布団の上で寝ないこともあるかもしれません。その時も、ふとんをそっとかけてくれるだけでいいのです。
あなたを悩ますことの一つに、私はあなたに「家に帰りたい」と言うに違いありません。
その時の私の心の中は、とても不安定な状態にあるのです。ですから、私が「家に帰りたい」と言ったら、家に帰る帰れないと言う問題でなく、まず私が不安を抱えているということをわかってください。
そしてしばしば、私は自分の感情のコントロールがうまくできません。ですから、大変に気むずかし くなって、その日の気分によって、意地悪なことをあなたに言ってしまうかもしれません。また、あなたの気に入らない事をするかもしれません。実はそのとき の私の気分は最悪で、私自身もその気分が嫌で嫌でしかたがないのです。 でもどうしようもできない。そこで、ついあなたの言うことに反発したり、意地悪をし てみたりしてしまうのです。そんな私の心の内を理解してください。その理解がボケた老人には一番必要な物なのです。
そして私の病気の最大特徴は、とても忘れっぽくなっていることです。あなたが何度、怒っても、な んで怒られているのか忘れてしまいますし、あなたが怒ったこと自体も忘れてしまいます。ですから、あなたが怒ったこと、大声を出したことを「なんで、あん なに怒ってしまったのだろう」などといつまでも後悔しないで下さいね。私は、とうに、そんな事も忘れているのですから。もちろん、忘れっぽいために、水道 を出しっぱなしにしてしまったり、火の始末もできなくなってしまいます。ですから、そういうことを私ひとりでさせないで下さい。できれば、一緒にやってく れたら、こんな安心なことはありません。私を、正常だった時と同じ人間だと思わないで下さい。わたしは何をやっても忘れるという病気なのだ、ということ を決して忘れないでください。
困ったことに、いま目の前にいる人が誰だかわからなくなります。でも、誰だかわからなくても、私は、私の目をしっかりと見て優しい声で話しかけてくれる人が大好きです。私は、その人が誰であれそういう人の言うことを聞こうとします。
私に何かさせたかったら、ひとつずつさせてください。短い言葉で「ごはんよ」と優しく言うだけでいいのです。また、私が何かあなたに尋ねたら、やはりひとつずつ短く答えてください。長い説明をされても、私にはそれを覚える事ができないからです。
私に何か話しかけようと思ったら、私を見て、私のからだに触れながら、微笑みながら話してくださ いね。私の心がさびしい時、私は自分が育った時代、青春時代の音楽をとても聞きたくなります。ソレが何という曲だったかは、思いだせませんが、ただ介護し てくれるあなたと、その音楽を一緒にきいたり、歌ったりしたいと思っています。私の知性は、たしかに衰えています。だから感性にたよって生きていかなくて はなりません。その分感性は磨かれているかもしれません。ですから、音楽以外でも、美しい夕焼けをみるとか、おいしい食事をするとかということをとてもいとおしく思っています。ひょっとしたら、正常だった時よりももっと感性は鋭くなっているかもしれないのです。
私に懐かしい音楽を聞かせてください。美しい風景を見せてください。素敵な匂いを嗅がせてください。着心地のいい洋服に身をつつみ、おいしい食事をあじわわせて下さい。
私が痴呆性老人になった時、私は優しい人に囲まれて、残りの人生をごく自然に過ごしたいと思っ ています。ですから、たとえアリババと40人の盗賊にかこまれたとしても、私は盗賊のなかでも、一番優しそうな人のそばにいたいのです。どうか、私を介護 してくれるあなたが、「ボケた心」を理解している優しい人であることを祈っています。